検索
  • 三宅 玲子

運命の人


毎回の取材で興奮や発見を繰り返していくうちに、2020年も終わろうとしています。

自分で起案したからおもしろい、というわけでもなくて、編集者から「これ、どう?」と声をかけられた仕事に夢中になることもあります。

今年再会した「こうのとりのゆりかご」とは、まさにそんな巡り会いでした。

指名により初めて取材した3年前、育てられない事情がある女性が赤ちゃんに生きてほしいと願ってたどり着く不条理に、胸が塞がれる思いがしたのですが、その時期に博多・中洲の夜間保育園に通い始めていたため、その後は夜間保育園の取材にかかりっきりになっていき、いつしかゆりかごから遠のいていました。


運命だなと思うのは、夜間保育園の仕事に区切りがついたとき、そんなタイミングで、編集者から再びゆりかごの取材で指名を受けたからです。


またゆりかごが頭によみがえってはいました。夜間保育園の取材の終わりがけに、「社会的養護」と「子どもの権利」を次の宿題として受け取ったのです。それはそのままゆりかごにつながるテーマでした。再びゆりかごへと意識が戻り始めていたときに、見透かしたようなタイミングでの編集者からの指名に内心驚きながら、手を挙げたのでした。


そこで新しく取材をした病院の責任者の女性との出会いは、ゆりかごを通して見える世界を一変させるものでした。正確には、ゆりかごに関わる人はここまで他者を信じることに誠実なのか、という驚きです。

年間5000件もかかってくる電話の中には、からかいもあるそうです。話を聞いているうちに後ろでクスクスと笑い声がしたりして、多分ウソだろうと思う場合でもそのウソに付き合って話を聞くと言います。ゆりかごにたどり着く女性の中にも、ほんとうのことを話さない人がいるそうですが、それをとがめることはしないと言います。


なぜ、ここまで目線を低くして、ゆりかごにくる人たちの声に耳を傾けることができるのか。

女性は小柄な人です。地味な装いで、いつも小さな声で、大勢のスタッフに紛れ込むようにしています。目立たないような振る舞いから逆に伝わってくる静かな強さにいつしか惹きつけられていました。


ゆりかごにたどり着く女性の側に立つ人たちに対し、赤ちゃんの立場に立つ大人たちもいます。出自を知る権利への抵触の観点から反対する人たちです。赤ちゃんの立場に立てば、将来、自分の親が誰かがわからない、という問題はアイデンティティーに関わる深い問題です。

ゆりかごを運営する病院では、ゆりかごの運用と同時に、特別養子縁組のあっせん事業にも取り組んでいました。養親を希望する人たちとの関わりを通して、子どもは誰のものなのかを自ずと考えるようになったと、女性との対話から教えられました。


ゆりかごにたどり着く人たちの多くは、孤立出産し、疲れ果てた身体で赤ちゃんを連れてやってきます。なぜ、孤立出産をするような状況に自身を追い込んだのか。社会通念から見れば非常識で不道徳な人たちという話になるかもしれないその人たちの横顔を聞くにつれ、正しくない人(と仮に言うとして)への社会の容赦のない断罪は、果たして適切なのか、疑問を持つようになりました。責任者の女性は、いつも断罪される人たちの側に立って最良の手段を一緒に考えようとしていました。

他者との関わりで深く傷を負った人たちです。そんな女性たちにとって、信じられる他者との出会いは、人生を変える分岐点になることもあるだろうと想像します。


実はゆりかごは、孤立出産をせざるを得ないような状況の女性とその赤ちゃんに限定した問題ではなく、妊娠と出産に関わる問題の責任を女性だけに負わせてきた社会の歪みの話でもある。そう示唆を与えてくれた研究者がいます。

妊娠と出産という途方もなく重たい役割を背負う女性が根底で尊重されていないことがまず大前提としてあり、さらに、子どもを尊重することへの大人たちの合意がなされていないことの結果が押し出されるようにして現れたのがゆりかごなのだとすると、自分がこの不条理な主題に挑まずにいられない理由はその辺りにあるのだろうなという気がしています。編集者がそこまでを直感して指名してくれたのかはわかりませんが、引き合わせてくれた運命に感謝します。


こども食堂の運営を通して地域の暮らしむきとも地続きにつながりながら、不条理な運命を生きる親と赤ちゃんに複眼で関わっている責任者の女性の姿は、私自身の向き合いようを問いなおさずにいられない、静かであたたかな強さを感じさせるものです。私にとって、運命の人なのだろうと思います。運命の人に出会うことができた2020年。取材者として人生を変える出来事でした。来年、取材の運命はどう動くでしょう。「安かれ」「怖れてはならない」との言葉をある場所で受け取ったのは、年の暮れのことです。心静かに、怖れずに、待ちたいと思います。