2020.05.24
24時間365日体制で行っている「電話相談」の主題は突き詰めれば「産むか」「産まないか」。
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」で知られる熊本・慈恵病院です。
2017年の冬、ゆりかご10年の節目で取材していました。今回は、「ゆりかご」発足と同時に13年前に始まった「電話相談」に、コロナ禍で中高生からの相談が増えている、その背景をインタビューしました。
「ゆりかご」も「電話相談」も、助けを求める女性たちの多くが、妊娠を喜べない状況下。中高生が「妊娠しているかもしれない状態」となった背景をインタビューした今回の記事に対し、その年齢での行為自体に対してSNSで厳しい意見がありました。
「ゆりかご」の取材のときにも「育てられないなら産むな」というコメントを何本も読みました。
でも、この星に生きていれば、要領よく決まりを守れる人ばかりではないし、そうなった背景には個々にいろんな物語があります。なにより、当事者は2人いるはずなのに、最後に判断しなくてはならないのも心身に傷を負うのも女性です。一緒に責任を負い悩むはずの男性の存在が薄く、また、批判の矛先がもっとも傷ついている女性に向かうのはなぜでしょう。
もちろん、悲しい思いをする女性がいないに越したことはありません。
こと予期せぬ妊娠に関しては、当事者を責める匿名の人たちも、予期せぬ妊娠に悩む女性を生み出してしまう社会の構成員。責任の一端はあるんだと思います。もちろん、わたしにも。
悲しむ女の子や男の子が増えないために即効性があるのは性教育だとして、誰かを愛することとその先にある営みについて、大人が自然なものとしておしゃべりしたり、すてきなこととして肯定する気持ち、小さい人たちに日頃の気配で伝えられていたでしょうか。
「性(行為)」と「生(命)」が一連のつながりであること、行為ののちに宿る命を世に産み落とす女性の命がけの行為への尊敬といたわりを、まず大人が言葉にして語り合うところから始めないとな、と思います。大人は誰かを愛することとその先にある交わりの美しさを恥じらわずに語ればいいし、愛について偽っていることがあるとしたら、それも大人の事情なんだから、あんまり建前だけを押し出さずに、ほんとの話をしたらいい。大人にだって事情はあるのよと。
小さい人たちは、本気で話せば案外わかってくれるんだとも。
同じ星を生きる仲間ですから。
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